小野清子さん「子供を産んでも続けられた」
2児の母、64年東京五輪で体操女子団体の銅メダルに貢献
1964年東京五輪に体操女子で出場し、団体の銅メダルに貢献した小野清子さん(78)。2児の母として、子育て競技の両立という苦労をはねのけた末の快挙だった。当時の思い出と、再び東京で開催される2020年五輪への期待について聞いた。
――日本で初開催の五輪にどんな思いで臨んだのか。
自国開催の重圧は考えなかったが、平均台をやっていると、視線の向こうに報道陣のカメラが50台くらい見えた。そういうときは、これは人ではなく山なんだと考えた。目線が合わなければ物に見える。あとはちゃんと呼吸をして、演技するだけだった。目標の団体3位に入れた時はすがすがしさ、爽やかさの中に開放感があった。これでやっと終わったというね。
――個人総合の9位については。
私にとっては、その9位が優勝。あれ以上はできなかった。その人間ができる最高のことをパーフェクトにやることが、私の金メダル。練習でできることを試合でやるには、精神的なコントロールがものすごく大事。できることを全部やれたのが東京五輪だった。
――2児の母として、両立は大変だったのでは。
長女が3歳で、長男が生まれたばかりだった。実は60年ローマ五輪の時、ラリサ・ラチニナ(当時ソ連)が子供を産んで出ていると聞いて、彼女も人間なら私も人間だと思ってから、産むことに心配がなくなった。子供ができても、体操が続けられたのは彼女のおかげ。練習時間の確保には苦労したけど、体操は個人で練習できるから続けられた。