「家は皆杖に白髪の墓参り」(芭蕉)。…
「家は皆杖に白髪の墓参り」(芭蕉)。お盆休みもきょうで終わり、明日からまた仕事である。帰省とUターンで疲れ気味の読者もおられるかもしれない。
かつては、お盆は長い間離れていた田舎で、親や親戚とともに過ごす骨休めのような期間でもあった。その意味で、ゆったりと過ごすことを望む人も多いだろう。ところが現在では、鉄道にしろ道路にしろ渋滞や混雑で移動時間がかかり、あまり休息にはならない面がある。
とはいえ、お盆はやはり故郷の祖先に挨拶し、アイデンティティーに触れる期間として忘れてはならない。だが、親戚などとの人間関係の煩わしさを避けて、この期間に帰省しない人もいるという。
最近は高齢化が進んで、“就活”ならぬ“終活”がブームになっていると聞く。就職活動が社会への入門儀式だとすれば、“終活”はどう死を迎えるかという人生の総決算の儀式になる。
そんな世相を反映して全く無関係な人々が同じ墓に入るという「墓友」が話題になっている。高齢になって子供にも期待できない人や家族のいない独居老人などの間で流行っているらしい。
こうした現象が起きるのも、地域や家族の絆が弱まってきたことと無関係ではないだろう。戦後に個人主義が蔓延(まんえん)し、「家族の価値」が軽視されてきたことが、その後押しをしていることは間違いない。家族の絆を結ぶ伝統文化の大切さを改めて実感させられる。