慰安婦碑書き換えで争う構え


奥茂治氏 朝日謝罪文を証拠提出

 いわゆる従軍慰安婦問題をめぐり吉田清治氏が生前に韓国中部・天安市の国立墓地「望郷の丘」に建てた謝罪碑の文言を無断で書き換え、韓国の警察に一時拘束された後、出国禁止になっている元自衛官の奥茂治氏(69)がこのほど世界日報のインタビューに応じた。奥氏は碑文が日韓関係に悪影響を及ぼしてきたと指摘し、「問題の原点である吉田氏の偽証を韓国人に知らせるため書き換えた」と語った。

奥茂治氏

奥茂治氏

 奥氏は現在、天安市内のホテルに滞在しながら6日には大田地方検察庁天安支庁で聴取を受けた。検察は奥氏が貼り付けた慰霊碑の石板を剥がしたところ原状復帰できず、それが器物損壊罪に当たると指摘。これに対し奥氏は、碑文書き換えは慰霊碑の所有権者である吉田清治氏の長男の依頼を受けた上でやったことを示す委任状を検察に提出。石板を剥がした韓国側の行為は所有権侵害である点を主張して争う構えだ。

 奥氏は朝日新聞が吉田証言の記事を全面取り消した際の謝罪文を近く情状証拠として検察に提出する予定。奥氏は「朝日の記事で韓国人が慰安婦問題に関し誤った認識を持つようになった」とし、同紙が吉田証言の過ちを韓国に積極的に伝える努力をすべきだと述べた。

日韓の障害除去が狙い
吉田氏偽証伝えるチャンス

奥茂治氏との一問一答

 奥茂治氏に対する一問一答は以下の通り。

碑文書き換えに至った経緯を。

 済州島で女性の強制連行があったという吉田氏の偽証を基に書かれた本のハングル訳本が1980年代に韓国でも出版され、それに先立って建てられた謝罪碑も文言が事実に反するにもかかわらず、そのまま放置され月日が流れた。

吉田清治氏の「謝罪碑」を書き換えた「慰霊碑」

吉田清治氏の「謝罪碑」を書き換えた「慰霊碑」。碑文にはハングルで「慰霊碑日本国福岡県・吉田雄兎」と記されている。「雄兎」は吉田氏の本名とされる(写真提供・奥氏)

 そのことで30年以上心を痛めてきた吉田氏の息子さんから頼まれ、書き換えることにした。謝罪碑の所有権は父親から相続した息子さんにあったので、私は彼から委任され韓国に来た。

 墓地の管理事務所に事前申告すれば政治問題をはらんでいるので制止されることは分かっていた。制止され書き換えに失敗すれば碑文はそのまま残ることになる。自分は犠牲になってもいいから、とにかく碑文の過ちを韓国に広く知らせたい思いで実行した。

韓国の警察からは何と言われ、検察の取り調べではどんなやりとりがあったのか。

 帰国後に韓国側の出頭要請に応じて再度訪韓した。公用物損壊と不法侵入の容疑で調べられたが、不法侵入は送検の書類から外れたようだ。墓地は公共施設で24時間出入り自由だから不法侵入には当たらない。公用物損壊については管理権は韓国側にあるため無断で傷つければ損壊罪になると言われた。すでに貼り付けられた書き換え碑文は剥がされてしまったようだが、その際、原状復帰できず、それが損壊に相当すると言われた。

 しかし一方で、所有権は吉田氏の息子さんにあるため韓国側は勝手に碑をいじれないはずだから、私としては管理者が所有権を犯したので逆に韓国側を告訴できる。

 検察も原状復帰できなかったことが器物損壊だと言ってきたが、所有権の問題を盾に争う考えだと伝えた。

 ただ、韓国が法にのっとって管理者側の主張を認め、私に罪があると判断しても構わない。裁判になったらなったで慰安婦問題の原点とされた吉田証言の虚偽を知ってもらうチャンスだ。

なぜそこまで覚悟ができたのか。

 慰安婦問題はもう20年以上、日韓関係の妨げになっている。それに楔(くさび)を打たないと。

出国禁止という措置に日本では波紋も広がっている。

 私は留置所で拘束されるより出国禁止になっても代わりに自由に動ける方がありがたい。おかげで朝日新聞ソウル支局を訪問することもできた。日本人はみな不在だということで誰にも会えなかったが。

朝日新聞へ行った目的は。

 朝日は吉田証言を何度も引用報道し、慰安婦問題で韓国に誤った認識が広まることにつながった。14年に朝日は関連記事の全てを取り消したが、そのことを韓国人は十分知らない。私がなぜ碑文を書き換えたのかを知ってもらい、また私の情状立証のためにも朝日が引用報道を取り消したという証明書を社長名で韓国側に提出していただきたい。ソウル支局訪問はそのことを伝えるためだった。

 朝日の記事取り消しに関する謝罪文のハングル訳を日本側から送ってもらったので、それを情状証拠にしたいと検察に言ったら認められた。一歩前進だ。

(韓国忠清南道峨山・上田勇実)