日本海学シンポジウムで 研究者悩ませる「東海」呼称


韓国側は「東海」の並記を主張

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「日本海の呼称」が課題の一つに取り上げられたパネルディスカッション「海がつなぐ文化と環境」!昨年12月7日、北日本新聞ホール

 昨年12月、富山市で開かれた日本海学シンポジウム「海がつなぐ文化と環境」で、パネリストの間から「日本海の呼称」が課題になった。「日本海」の表記について、韓国側が「東海(トンへ)」と併記すべきだと主張している問題だが、学術的な交流にも弊害が出ているということだ。

 コーディネーターを務めた富山大学極東地域研究センター教授の今村弘子氏は、自身の体験としてこんな出来事を紹介した。富山県では日本海との関わりを軸に、自然・文化・歴史・経済などを総合的に研究する「日本海学」を推進しており、これまでに関連書籍を多数出版している。韓国のある学者が関心を抱き、「これらの出版物を翻訳して、韓国でも出版したい」と話を進めたが、「日本海の呼称」がネックとなり、結局、出版は立ち切れになってしまった。今村氏は「せっかくお互いの文化を知り合えるチャンスだったのに、それを逃してしまった」と残念がっていた。

 同様の体験をパネリストの一人、公益財団法人環日本海環境協力センターの小野洋専務理事も語っていた。

 同氏によると、日本海の環境問題について日本、韓国、中国、ロシアの4カ国でリポートの作成時に、「日本海」の表記を韓国が受け入れなければ、「リポートをどんなに一生懸命積み重ねても、世の中に出ないこともある」と厳しい現状を吐露し、「国としての立場は別として、実際に仕事を進める上では日々気を使っている」と難しさを話した。

 前富山市埋蔵文化財センター所長の藤田富士夫氏は、以前、島根大学で古代史のシンポジウムを開いて韓国の研究者を招いた折、日本海の表記だけでは事が進まず、東海と併記して韓国大使館に打診したところ、許可された経緯を報告した。政治とは無縁の研究者の間でも、この問題が大きな影を落としているのだ。

 では、どのように克服していくかについては、具体的な提言は無かったが、古代史交流の視点から藤田氏は次の例を挙げ、相手国をお互いに慮(おもんばか)ることの大切さを指摘した。

 それは新潟県の国上(くがみ)山の麓にある「竹ケ花」という10軒ほどの小さな集落の話だった。ここには、古代・新羅から日本海を越えて寺泊に漂着し、この地に移り住んだといわれる新羅王一族の伝承が生きている。地元民は彼らの没後、手厚く葬り慰霊碑を建てた。今でも毎年6月になると、細々と祭事が営まれているという。

 藤田氏は「市民レベルで日本列島に残る渡来文化の遺産を丁寧に掘り起こし、それらを尊重していけば、やがて大きな交流につながり、困難な課題も克服できるのではないか」との前向きな視点を投げかけた。200人余りの聴衆の間には、大きくうなずく姿も見られた。

 同パネルディスカッションは2013年度日本海学シンポジウム(主催・日本海学推進機構)の一環として開かれ、武田教授が「古代環日本海の交流と衣服」をテーマに基調講演した。

(日下一彦)