泉田新潟県知事「知見と教訓を全国へ発信」


新潟県中越地震から10年、長岡市で合同追悼式

泉田新潟県知事「知見と教訓を全国へ発信」

新潟県中越地震から10年となり、山古志地域で開かれた「復興のつどい」で設置されたろうそくの前に集まる人たち=23日午後、新潟県長岡市

 68人が死亡した新潟県中越地震から10年を迎えた23日、同県長岡市で県と長岡、小千谷など6市による合同追悼式が開かれ、遺族ら約750人が参列した。発生時刻の午後5時56分には、一時全村避難を余儀なくされた旧山古志村(現長岡市)で「希望の鐘」を鳴らし、住民らが黙とうをささげた。

 追悼式であいさつした泉田裕彦知事は「復旧、復興の道のりは平たんではなかったが、皆さまからの励ましが力強く歩む原動力になった」と全国からの支援に感謝を述べ、「知見と教訓を全国の災害復興に役立てられるよう発信していく」と誓った。

 知事や遺族らが献花台に花を供え、特に被害が大きかった山古志、川口両地域の小中学生が、阪神大震災後に神戸で生まれた復興歌「しあわせ運べるように」など2曲を合唱した。

 式典の後、地震で母を亡くした十日町市の助産師山崎泉さん(57)は「地震が無ければという思いはあるが、母の分まで一生懸命生きて前に進みたい」と涙を浮かべながら語った。自宅が半壊した小千谷市の杵渕カズエさん(65)は「家が崩れていく光景は忘れられない。10年たった実感がまだわかない」と話した。