中曽根元首相「米、カッとなると見境なし」


外交文書公開、湾岸危機でフセイン氏に武力回避を要請

中曽根元首相「米、カッとなると見境なし」

1990年11月、イラクのフセイン大統領(右)とバグダッド市内の大統領府で会談する中曽根康弘元首相(AFP時事)

 1990年の湾岸危機で、事態打開に向けてイラクを訪れた中曽根康弘元首相と同国のフセイン大統領のやりとりが、22日公開された外交文書で明らかになった。中曽根氏は拘束された邦人救出を要請しつつ、米国とイラクの武力衝突を回避する重要性について、時にユーモアを交えながら繰り返し説いた。(肩書は当時)

 90年11月に、日本政府は関与しないとの形で自民党代表団とともにイラク入りした中曽根氏は、フセイン氏ら同国要人との会合に出席。湾岸危機に言及し、「もし戦争が始まれば取り返しの付かないことになり、人類的不幸を招致する」と平和的解決を要請した。

 米国について触れることも忘れず、「米国人はカッとなると前後の見境が付かなくなる」「個人的に米国人は好きだが、時としてティーンエージャーみたいなところがあるのは困りものだ」といった表現で戦争になるリスクを警告。こうした言い回しにフセイン氏が笑い出す場面もあった。

 通訳のみを同席させた一対一の会談に移っても「ブッシュ大統領は元来臆病な性格で、1国では武力行使の決断をできない」と分析しつつ、「サッチャー英首相とブッシュ氏は人的犠牲を出しても戦争を行おうと考える可能性がある」とも語り、重ねて自制を求めた。

 これに対し、フセイン氏は「現在の情勢に関する世界の関心は理解している」としつつ、「わが国は戦争ではなく平和を欲しているが、いざ戦争を仕掛けられた場合、国民の勇気を結集して対応する」などと話し、説得には応じなかった。

 一方、邦人救出をめぐっては、中曽根氏の訪問で、当時の公電によると「77人」が解放された。一連の経緯について在イラク日本大使館は「著名な政治家が来訪すれば、イラク側もそれなりの配慮を示す」と分析。その後、アントニオ猪木参院議員もイラクを訪れた。フセイン氏は同12月6日に邦人を含む全ての人質の解放を発表した。