福島原発事故を生んだ「安全神話」

《 記 者 の 視 点 》

危険極まりない9条信仰

 東日本大震災に伴う福島第1原発の事故から10年を迎え、当時の首相として戦後最大の危機に対応した菅直人氏(衆院議員)が時事通信のインタビューに応じた。菅氏の発言で興味を引いたのは、「震災前は、私も原発事故は起きないと考えていたが間違っていた。原発はゼロにすべきだ」というものだ。東工大大学院で応用物理学を学んだだけに、原子力の専門知識は十分だったはずで、自分も原発「安全神話」の信者だったことの告白と言える。

 福島第1原発事故について、国会、政府、民間、東電がそれぞれ事故調査委員会(事故調)を設立して事故の直接原因、政府(官邸)や東電の事故前・事故後の対応などを検証した報告書を2012年までに出しているが、過酷事故発生の背景に原発の「安全神話」があったと指摘する報告書もある。

 政府事故調は「東京電力を含む電力事業者も国も、我が国の原子力発電所では炉心溶融のような深刻なシビアアクシデントは起こり得ないという安全神話にとらわれていたがゆえに、危機を身近で起こり得る現実のものと捉えられなくなっていたことに根源的な問題がある」としている。

 いくら科学的な背景を持った設備やシステムでも、それを絶対的に安全だという「神話」(実体は明らかでないのに、長い間人々に絶対のものと信じ込まれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄)にしてしまうと、今度は最悪の事態を想定した準備を疎(おろそ)かにするようになり、危機管理や危機対応の最大の障害になり得るというわけだ。

 そういう意味で、菅氏が事故を通して安全神話の誤りを理解したところまではいい。しかし、その悟りに基づく結論が「原発はゼロにすべきだ」では、振れ幅が大き過ぎる。なぜ原発ゼロが代案かについては語っていないが、菅氏が首相退任後の遊説で「原発がある限り事故の可能性は残る。軍事攻撃やテロを受ける恐れもある。だが、原発がなければ事故の可能性はゼロだ」と訴えていた。これもまた電源構成や技術の継承など現実を無視した暴論だ。

 ここで注目したいのは、民間事故調の報告書だ。これは、事故の備えが不十分だった背景に「過酷事故に対する備えそのものが、住民の原子力発電に対する不安を引き起こすという、原子力をめぐる倒錯した絶対安全神話」があったとしている。この「倒錯した絶対安全神話」の指摘は、他の「神話」にも適用できる。

 それは憲法9条神話だ。「9条は日本国民の平和への願い、非戦の誓いが込められたもの」で「憲法9条があったから戦後は平和が続いた」とする護憲派は「9条を守ること=平和を守ること」との神話を信奉して、軍事的な危機への備え(自衛隊強化や集団的自衛権の容認)に徹底反対してきた。それは日本をかえって危険に陥れている。

 福島第1原発の事故によって原発の「安全神話」は崩壊したが、9条(=平和)神話はまだ残っている。これこそは災難に見舞われる前に放棄すべきだ。

 政治部長 武田 滋樹