膨張する中国の対外政策、習近平政権のジレンマ 拓殖大学客員教授 石 平氏
中国の対外膨張政策は不変
拓殖大学の石平客員教授はこのほど、世界日報の読者でつくる「世日クラブ」(会長=近藤讓良・近藤プランニングス代表取締役)で講演し「習近平政権は胡錦濤政権より危険」と指摘し、軍をバックにした習政権の暴走に警鐘を鳴らした。本記はその講演要旨。
目的はアジアの覇権/周辺国と連携し防げ
限界を迎える成長路線/破裂した不動産バブル
中国は歴史が長いといわれるが、それは昔の中国だ。今の中国はただの65年でしかない。しかも今の中国は、合法的手段ではなく武力で天下を取った革命政権だ。毛沢東は、1976年に死去するまで26年間、最高指導者として中国を統治した。
毛沢東時代は、ソ連と米国が対立する冷戦時代だった。ソ連の同盟国である中国は、西側諸国と対立し、世界革命実現を目指した経緯がある。私も少年時代、世界各国の人民を解放しないといけないと教え込まれた。
同時に中国の対外膨張戦略が発動し、1950年に人民解放軍がチベットへ侵攻し、ウイグルも占領した。内モンゴルも自治区を作った。さらに朝鮮戦争だけでなくインドとも戦端を開いた。とにかく1949年の建国から毛沢東が死去するまでの27年間、一番戦争したのは中国だった。
毛沢東時代の対外政策は大失敗で、ソ連とも反りが合わなくなった。中国は二つの超大国に同時に敵対する危険があり、孤立化した。このままだと中国は沈没しかねないとの危機感が、ニクソン訪中を実現させた。孤立から脱出できたのは毛沢東時代の末期だ。
毛沢東の死後、結果的にトウ小平が最高指導者になった。毛沢東時代の反省から、立ち遅れた経済の立て直しが急務だった。現在は世界第2位の国内総生産(GDP)を誇るが、当時は有数の貧困国家で今の100分の1以下の経済規模だった。
トウ小平は計画経済から改革開放路線に転じ、立ち遅れた経済再建に取り組んだ。経済を成長軌道に乗せるためには、外国から資金と技術力を導入する起爆剤が必要だった。それで”小平は全方位外交路線をとり、ソフトな顔で西側諸国と良好な関係をつくっていった。だが、それで中国は対外膨張政策をやめたわけではない。
トウ小平の韜光養晦(とうこうようかい)(ソフトな顔で野望を隠す)路線を江沢民政権は、忠実に実行した。そして中国は世界第2位の経済大国になった。しかし、中国がやったのは国際社会を騙(だま)す方便でしかなかった。中国は軍事力増強を図り、わけても海軍力増強に走った。現在、経済力も軍事力も、毛沢東時代と比べものにならない。
中国は1980年半ば、国際戦略の転換を図り、海洋戦略を策定。海への進出を始めた。中国の狙いは、南シナ海と東シナ海、西太平洋の支配であり、究極目的はアジアの覇権だ。これらの海が中国海軍によって支配されると、日本の生命線が押さえられる。
尖閣は明治政府が調査してどこの国の領土でもないことを確認した上で、日本領土に編入した。当時の清国政府も、異議の申し立てをせず容認した。1960年代末、海底資源が発見されると、台湾と中国が領有権を主張し始めた。それでも尖閣は外交問題にはならなかった。
1978年、日本を訪問したトウ小平は尖閣問題に言及し「この問題は複雑で、われわれの時代では解決できない。われわれより、もっと知恵があるだろう次の世代に委ねましょう」と棚上げを論じた。日本政府はこれに合意したことはなく、棚上げを認めてはいない。
しかし、日本政府は明確に反論しなかった。客人として訪日したトウ小平に、敢えて異議を申し述べるようなことはしなかった。これは大いなる教訓だ。反論をしないことで禍根を残すことになったからだ。
中国は高度成長が続く中で、軍事力を増強させ、海洋戦略実現に向かって動いた。1992年、国内法としての海洋法を制定した。海洋法には南シナ海の領有権だけでなく尖閣諸島の領有権も入っていた。尖閣問題棚上げを反故(ほご)にしたのはトウ小平自身だった。2000年代、中国の海洋局の船もうろうろするようになって、尖閣周辺が不安定化してきた。
4年前には、中国漁船が傍若無人にも日本の巡視船にぶつけてきた。日本は船長を逮捕し、法的手続きに入ろうとした時、中国が猛反発した。その中国に日本は“降伏”した。日本の足元を見た韓国の李明博大統領(当時)が竹島を訪問し、ロシアのメドベージェフ大統領(当時)も北方領土を視察した。
2012年10月の共産党大会で発足した習近平政権で顕著なのは、対外的な挑発的行為がエスカレートしていることだ。海警局の船が領海侵犯するのは日常茶飯事となった。レーダー照射があったり、空軍戦闘機が30㍍近くまで異常接近するということもあった。双方が引くに引けなくなって局部的な戦闘になってもおかしくないリスクがあった。
国内では言論統制を厳しくし、ウイグルや自由派弁護士への弾圧も厳しくなる一方だ。こうした習政権の強権を使った統治手法に危うさを感じる。習氏がトップに就任してから、毎日のように「民族の偉大なる復興」「中国の夢」「民族の復興」といったナショナリズム高揚のスローガンが掲げられている。
近代以来、受けた屈辱を一掃し中華民族の復興を成し遂げようというのだ。
習近平とすれば、自分こそが「海洋強国」を先導し、トウ小平の海洋戦略を実現するという自負を持っている。海を支配する新しい「中華帝国の夢」を果たそうというのだ。
人民日報1面には「強軍」という言葉が2、3日ごとに出てくる。習政権は平和的手段ではなく、強い軍隊で海洋強国を達成しようとしているのだ。その意味でも習近平は、胡錦濤より危険だ。
胡錦濤は、しばしば平和的台頭を口にした。だが習近平の口から平和的台頭の言葉が出ることはない。公式文書でも、平和的台頭という文言が姿を消し死語になっている。結局、尖閣問題は終わらない。5年、10年と長期にわたって政治的対立が続く。
石油のシーレーン(海上交通路)となっている南シナ海の問題は日本にとって他人事ではない。フィリピンやベトナムなど国力も軍事力も小さな国が、そこで踏ん張っている。力による秩序をつくりたい中国は、南シナ海を「自由の海」にしておくことはできない。この点で中国との対立は避けられず、覚悟が必要だ。
そうはいっても足元の中国国内問題は、安定したものではない。成長路線は限界状況を迎えているし、不動産バブルにシャドーバンキング問題と心臓病と肝臓病を併発しているような状況だ。
不動産バブルの前提は金融バブルだから、なんとかしてシャドーバンキングの破綻を食い止めようとすれば、金融政策は慎重にならざるを得ない。結局、不動産バブルは続かない宿命にある。その不動産バブルは今春、破裂した。金融を締めると生産活動は停滞し、経済はずぶずぶ沈没していく。
習政権とすれば本格的にやろうとしているのに、足元から音を立てて崩れている。これが習政権のジレンマだ。
国内は不安定化し、沈没するリスクを抱えている。結果的に独裁政権は、国内の矛盾を外に転嫁するため、冒険主義に出る可能性がないわけではない。ベトナムやフィリピンとも一触即発状態だった。
我が国は習政権の海洋戦略を封印しないといけない。戦争をしろというのではない。中国の膨張戦略を周辺国と連携して防ぐ必要がある。





