人はなぜスポーツをするのか

勝利の喜びより大きい敗北の痛み

Charles Krauthammer米コラムニスト チャールズ・クラウトハマー

 数学では、永遠の真理を確信しながら、それを証明できないとき、もったいつけて頭文字を大文字にして仮説として発表し、正しいか間違っているかの証明をほかの人に、必要なら後の世代に、託すことになる。賞金が付いてくることもよくある。

 私も、賞金はないが「クラウトハマー予想」として一つの理論「スポーツでの勝利の喜びは、敗北の痛みより弱い」を発表したい。ベンサム派によると、喜びと痛みを足し合わせれば、総計はマイナスになる。痛みの方が大きいということだ。ならばどうして、人はスポーツをするのか。

 勝つことは素晴らしい。大歓声を浴び、トロフィーを高く掲げ、シャンペンを頭からかぶり、オープンカーに乗ってパレードをし、ホワイトハウスの祝賀会をボイコットすることもできる。

 しかし、スポーツで試合をしたことのある人ならほとんどの人が、敗北による痛みほど嫌なものはないことを知っている。クリーブランド・キャバリアーズが2015年にNBAファイナルで負けたとき、レブロン・ジェームズは試合終了のブザーが鳴った後、ロッカールームで身じろぎもせず、45分間、試合のジャージを着たまままっすぐ壁を見つめていた。

◇不釣り合いな絶望感

 絶頂期には莫大な資産を持ち、皆から尊敬されていた男でも、打ちのめされ、深い悲しみに打ちひしがれることがある。1951年に(ニューヨーク・ジャイアンツとのナ・リーグ優勝決定戦で)「世界を変えた一打」をボビー・トムソンに許したラルフ・ブランカがそうだった。ロイヤルズのショート、フレディー・パテックもそうだった。1977年のペナントレースでニューヨーク・ヤンキースに敗北したとき、ダッグアウトで一人頭を垂れて、落ち込んでいた。

 1986年に「トゥデイ・ショー」で、ドン・ラーセンによるワールドシリーズ唯一の完全試合の30周年を記念する番組があった。ラーセンとバッテリーを組んだヨギ・ベラが招待された。最後のアウトを取られたデール・ミッチェルも招かれたが、「三振について話すために3000キロ先まで飛行機で行こうとは思わない」と反発した。3球目のストライクは外角高めだった。ミッチェルは30年たってもまだ怒っている。それもそうだろう。ヤンキースの野手は、この最後の投球がストライクゾーンの外だったことを認めている。

 勝利の瞬間にはいつも、不釣り合いで真反対の絶望感がつきまとう。モハメド・アリが、ダウンし意識がもうろうとしたソニー・リストンを前に勝ち誇る素晴らしい写真がある。一方のリストンの絶望感はもっと大きかったはずだ。

 今取り上げているのは、プロのスポーツ選手であり、リトルリーグの子供たちではない。決勝選で負け、泣きながら家に帰って、アイスクリームで機嫌が直るような子供の話ではない。

 親なら誰でもクラウトハマー予想が当てはまることは分かるはずだ。だが、意外にも、実戦で訓練され、大金を稼ぎ出すプロの選手にもよく当てはまる。

 同情する気はない。プロのアスリートなら、敗北しても、その痛みをフロリダの豪邸にしつらえたオリンピックサイズの豪華なプールに沈めてしまえるからだ。ここだと所得税もかからない。痛みを紛らせる方法はほかにもあるにもかかわらず、プールが好きな選手がいるのは興味深い。

◇勝ちへのこだわり

 ワシントン・ナショナルズのエースピッチャー、マックス・シャーザーは年収3000万ドル。マウンドでは、カネのことは忘れる。勝ちへのこだわりは怖いほどだ。三振を取るたびに、大股でマウンドを降り、下を向いたまま、歩き回る。マストドンを倒したとでも言うように。

 6月6日、勝利が近づき、疲れが見え始めたシャーザーは、バッターボックスに立ったチェイス・アトリーを前に、まるで空腹のトラのように、うなり始めた。ワシントン・ポストのスコット・アレン記者はその光景をブログの見出しで「美しかった」と書いた。

 このようなシャーザーの姿を見ている監督らは、マウンドに行って、よくやったと言うのが怖い。シャーザーは「マッド・マックス」と呼ばれている。昨年、こんなこともあった。シャーザーは、マウンドまで来たダスティー・ベイカー監督に目をやった。

 シャーザーはその時のことをこう話している。「気分はどうだと聞かれ、まだ大丈夫だと答えた。…もう一人投げるつもりだった」

 シャーザーの目を見て、続けるかどうかを確認したかった監督は、「どっちの目を見ればいい」と聞いた。左右の目の色が青と茶色で違うシャーザーは「茶色い方だ」と答えた。

 シャーザーは試合後の記者の質問に笑いながら「投げているのはそっちだから」と答えたという。

 総合格闘家のロンダ・ラウジーは初めてのアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ(UFC)の試合で負けた後、医務室の隅で「座りながら死にたいと思っていた。その瞬間、『自分は全くの無だ』と思った」と告白している。

 (アメリカンフットボールのコーチ)ビンス・ロンバルディ氏は、「勝つことがすべてではない。それは一つの出来事でしかない」と言った。これに私の「予測」を付け加えたい。その通りだが、敗北の痛みはもっと大きい。

(チャールズ・クラウトハマー、6月30日)