地震予測の功罪
最近、妻からよく「あなたはどうして防災グッズを揃えないの」と“口撃”される。職場の同僚から、震災時に備えて水とか保存用の食品などを揃(そろ)えたという話をよく聞かされるのに、どうして何もしないのかというわけだ。
東日本大震災が起こってから、地震など災害予測を伝える報道をよく目にするようになった。一番有名なのが、文科省傘下の地震調査研究推進本部事務局が公表している「(確率論的)全国地震動予測地図」だろう。ここに出てくる「今後30年間に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布」(平均ケース・全地震)図を見ると、確かに、福島県の南から四国に至るまで太平洋側の広い地域が、確率26%~100%を示す真っ赤で塗られている。こんな地図が報じられれば、恐ろしくなるのが人間の心理というものだろう。
とはいえ、仮に今後30年に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が100%だとしても、それが明日起こるのか、筆者が80代の後半となった30年後の今日(約1万957日後)に起こるのか、分からない。これが確率26%になると「約100年に1回程度起こり得ることを意味する」ので、筆者が百歳まで生きても起きない確率のほうが大きい。
「確率論的」といわれると、何か確定したもののように感じやすいが、実際は設定条件によって大きく結果が異なる。予測図から分かるのは、自分が住む地域が比較的大地震の起こりやすい地域かどうかという程度で、明日、自分が住む地域に大地震が起こるかどうかは現時点では誰にも分からない。それなのに予測が独り歩きして人々の不安を煽(あお)るだけになっていないか、もう少し考えてもらいたい。
運悪く震度6弱程度の地震に遭って、それでも幸運が残っていて生き残ったら、どう対応するか。個人の対策はその辺りから始めるしかないようだ。(武)