蚊の鳴くような国歌斉唱
安倍晋三首相が参院予算委員会の答弁で、国立大学の入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱について、「新教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」との“感想”を述べたことに対し、元来が教育現場での国旗掲揚や国歌斉唱を快く思わない新聞や政党は「大学(の自治)への不当な介入」などといきり立った。
とはいえ、全国の国立大86校のうち、今年の卒業式と入学式で国旗を掲揚しなかったのは各々12校だけだったが、国歌斉唱になると実に各々72校、71校が実施せず。「国立」の名を冠し国庫から総計1兆1千億円の運営費交付金とその他の支援を受けていながら、国旗も掲げず国歌も斉唱しない大学があるというのは、一般常識からみても不可解極まりない。
大学のお寒い現状と比べ小中高校の卒業・入学式では最近、国旗掲揚しないとか国歌斉唱で起立しないなどの事件は耳にしない。国旗国歌法の制定や教育基本法の改正、愛国心の養成を謳(うた)う新学習指導要領の導入など、法的・実務的背景の整備と共に、教育現場での地道な努力の成果だろう。
しかし、息子・娘の親としてここ7、8年のうちに小学校の卒業式から始まって、都内の公立中高校の入学・卒業式に出席した経験からいうと、小中高校の教育もまだ不十分だ。国旗に対して礼(お辞儀)をしない登壇者がいたり、特に国歌斉唱の歌声は生徒も父兄もそれこそ蚊の鳴くような声でしかなかったためだ。
筆者は幸い日教組などが強くない田舎の小中高校に通ったおかげで、小学校4年生から参加する卒業式の予行演習で、登降壇時の国旗への礼や、「君が代」を力一杯歌うことを教わった。それで普段通り歌い出したのだが、毎回、余りにも声が突出しているので、やむなく声を低めるしかなかった。教師がこんな状態でいいと思っているなら、それこそ問題だ。(武)