女子大の存在意義
先月、公立の福岡女子大学に入学を希望した社会人男性が、男性であることを理由に入学願書が受理されないのは違憲として、大学側を提訴した。
栄養学科を選考できる県内の公立大学は福岡女子しかなく、費用的にも県外の大学に通うのは経済的に難しいと言う理由だ。
税金で運営されている公立の場合、不平等ではないかとの主張も強い。こうした声に押され、現在、国公立ではお茶の水女子、奈良女子、群馬県立女子、福岡女子の4校のみになった。女子大の将来が危ぶまれる。
筆者の母校の女子大も施設投資が思うようにいかず、人気は急落の一途。少子化や男女共同参画の影響により、女子と名のつく大学はどんどん消えている。
ところが、世の中はどうかと言うと、女性専用車両、女性クリニック、女性専用スポーツジムなど、女性限定のサービスで溢(あふ)れている。それだけではない。リケ女に歴女に鉄女と、“女子力”が2009年流行語大賞になるほど、女子という言葉はパワーがある。
どうも、大学だけが世の中と逆行しているように思えてならない。
米国は1960~70年代フェミニズム運動が高まり、女子大が共学に移行した時期があった。しかしその後、女性リーダー輩出率が女子大は共学校の2倍以上という研究が数多く出されるようになると、その存在意義が見直されるようになった。名門女子大を中心に、社会で成功する女性リーダーを数多く輩出している。
女性のリーダーシップ育成は急務であり、その意味ではむしろ女子大の存在意義は増しているというのが筆者の実感だ。日本の女子大は明らかにアイデンティティーを見失っている。
「キャンパスがきれい」「変な虫がつかない」といった旧態イメージから脱却して、女子大ならではのリーダー教育を期待したい。(光)