個人主義の源流


 先日、よく立ち寄る古本屋に面白そうな本があったので、さっそく買って読んだ。チャールズ・ビーアド博士とメアリ夫人共著の『アメリカ精神の歴史』(岩波現代叢書)で、高木八尺、松本重治両氏の翻訳で1954年に出版された。

 近頃、あまり目にしなくなった「文明」の観念とアメリカの歴史がどのようにかかわってきたのかを解明しているが、その中で一番面白かったのが、個人主義(インディヴィデュアリズム)に関する部分だ。

 戦後、輸入されたアメリカの個人主義が日本を席巻しているのが現状だが、同書によると、個人主義はストア哲学の時代から認められ、アメリカの独立宣言の理念の根底にある「個人人格(インディヴィデュアリティ)尊重」の思想とは、同じ語源から出たものではあっても、語義や内容においては根本的に異なるものとして派生し、発達した。つまり、南北戦争前の1835年に初めて文献に登場した新しい語彙(ごい)で、ダーウィニズムの普及によって南北戦争後の著しい発展膨張の時代に主流思想にのし上がったのだという。

 初出の時の意味は、「人がその家族、友人、社会から自ら疎隔する、すなわち自ら選ぶ非社会的分立(セルフ・チョーズン・アナーキー)」だというから驚きだが、その後、「個人が共同社会の絆を絶ち、その自立と独自性を主張する」という意味合いが加わり、一つの完全な体系となった時には、①社会は、生存のために競争する個人の単なる集合であり、②個人の競争の力は全く各人の力量、努力にかかわっており、③苛烈な生存の競争で、勝利は強者「適者」に帰し、その報償は努力の割合に応じ、分に応じてくる、④貧困は怠惰、無気力、動揺性等のもたらす結果にすぎない―という思想内容が盛り込まれたという。こんなむき出しの進化論思想が根にあっては人と社会に幸福をもたらすはずがないわけだ。(武)