世界で戦える人材育成
サッカーのW杯関連テレビ番組が開催地ブラジルの子供たちの遊び風景を映し出していた。貧困地区の路上で、裸足(はだし)でボールを追い回す子供が「将来はネイマールのような選手になりたい」と夢を語っていた。
最近帰省した折、東北の田舎で目にしたのは、これとは対照的な光景だった。外で遊ぶ子供の姿はまったく見あたらない。子供の数が減ったのと、ゲームで遊ぶ子供が増えたこと、さらには塾通いなどの要因が重なっているのだろう。その一方で、人口8000人足らずの農村なのに夜間照明付で人工芝のピッチというサッカー場ができていた。
今大会では、6カ国中5カ国が1次リーグを突破した南米の強さが際立っている。一方、日本が決勝トーナメントに進めなかった大きな要因は、初戦のコートジボアール戦での敗北で、歯車が狂ってしまったことだと言われているが、むしろアフリカ最強の相手が日本側の予想を上回る力を発揮したと考えたほうがいいのではないか。
冒頭のブラジルの子供たちが象徴するように、南米やアフリカの選手の強さは貧困などの逆境が育てたと言える。ゴールへの野生的な嗅覚と勝利に向かう闘争心と個の強さに加え、今回はこれまで足りないとされてきたプレーの緻密さや粘り強さも身に付けていた。
日本人の強みと言われるのは敏捷(びんしょう)性を生かした連携プレーだが、世界の大舞台で、その実力を発揮するのは、強靱(きょうじん)な精神力が不可欠。しかし、貧しさや子供の数の多さを背景に、激しい競争に曝(さら)されて自然に精神力が鍛えられるという状況ではなくなっている。
日本代表が目指す攻撃サッカーに必要な野性的闘争心やゴールへの嗅覚は、教育や練習で習得できるものでもない。世界の壁を突き破る日本流サッカーを確立することには、豊かさと少子化の中で、国際社会に通用する人材を育てることと共通する課題がある。(森)