水温む春が来た
寒かった冬が過ぎてやっと春らしくなってきた。日本で春といえば、何といっても桜だ。
幸いなことに、本社ビルの隣にも数本の背の高い大きな桜の木があって毎年、社員の目を楽しませてくれる。つい先日も、陽光を浴びた花びらが雪のように舞い散る中を、花びらの絨毯(じゅうたん)を踏みしめながら出社。ちょうど編集局のある2階の窓からは同じ高さにある満開の桜を真横から眺めることができた。
わが家の近くでも、雲の合間に顔を出した青空を背景にした水路沿いのソメイヨシノや、手入れの行き届いた庭を覆うシダレザクラなどが楽しめる。その他にも白や紫のモクレンの花も春の到来を告げている。
初春を表す俳句の季語に「水温(ぬる)む」がある。最近、外の水道水を使うことがあって、ついこの間まで手が切れるような冷たさだったのが、心地よい冷たさに変わっていたのに驚かされた。春とはいえ、まだまだ朝夕は寒い日が多いが、水は着実に温(ぬく)みつつあるわけだ。
とはいえ、給湯器が普及してすぐ温水が出てくる現在では、「水温む春」と言ってもあまりピンとこないかもしれない。この季語が使われるようになったはるか昔の時代には水道はなかったから、川や谷の水に直接手を触れてその温度の変化を敏感に感じていたのだろう。井戸水はその変化の幅を縮めたろうが、水道が発達した後も、直接水に触れてその温度の変化で季節の移り変わりを感じることに変化はなかったようだ。
家庭に給湯器があまり普及していなかった昭和30年代後半まで、主婦は冷たい水道水で炊事や食器洗いをするのが普通だった。とりわけ家の仕事の関係で冷たい水で大量の食器を洗っていた母親の手は冬になるといつも黒みがかった紫色に膨れ上がっていた。「水温む春」がどれほど待ち遠しかったかだろうかと、今更(いまさら)ながらに思われされる。(武)