曻地三郎先生の思い出


 昨年11月末、曻地三郎さん(享年107)の訃報に接して、10年前にお会いした時の慈愛に満ちた眼差(まなざ)しを思い出した。

 福岡市の自宅近くに、私財を投入して知的障害児施設「しいのみ学園」を創設したのは日本にまだ養護学校がなかった昭和29年。健康優良児だった長男と次男が幼くして脳性小児まひになったのがきっかけだった。その著書「しいのみ学園」はベストセラーになり、同名の映画も大ヒットした。教育者であり、医学博士でもあった。

 昭和11年に生まれた長男は1歳にならない時に高熱で歩くことも言葉を発することもできなくなった。地元の医師に診てもらっても原因が分からない。名の知れた医師の診察を受けに上京しても「現在の医学では手の施しようがない」と見放されて、長男を抱いた奥様の露子さんは目に涙を溜めた。

 その姿を見ながら、「医学には限界があるが、親の愛情には限界はない」「俺が治してみせる。歩かせてみせる」と決心したことを昨日のように語る曻地さんはとても100歳近くの高齢者には見えなかった。

 「しいのみ学園」の名付け親は、露子さんだった。太宰府天満宮で、椎の実を買って食べた時に決めた。枝から落ちて人や獣に踏まれるけれども、水や太陽の光を与えると、やがて芽を出す椎の実。それを不運な子らに例え、そこに親の願いを込めたという。学園の初代園長に就任した露子さんは平成9年、82歳で他界した。

 「教育は制度ではなく人間が行うもの」「制度では人は育ちません」。そして「日本は社会福祉の進んだ国をモデルにするのではなく、親子の情を基本とした日本的な福祉を創造すべきだ」と力強く語った曻地さん。晩年は韓国語や中国語などを学び、障害児教育だけでなく、長寿の秘訣を伝えるために世界を飛び回っていた。合掌!(森)