LGBT論争に必要な観点 社会の維持・存続へどう貢献
《 記 者 の 視 点 》
いわゆる「LGBT」(性的少数者)のカップルに、自治体が証明書などを発行して“公認”する「パートナーシップ制度」を導入する取り組みが拡大している。
4月からは豊島区、江戸川区、神奈川県横須賀市などが加わり、同制度を導入するのは全国20自治体に達した。今年2月には、「同性婚」を認めないのは婚姻の自由や法の下の平等を保障した憲法に反するとして、同性カップル13組が一斉提訴した。
東京都渋谷区(2015年11月)を皮切りに始まった制度がここまで広がったのは、LGBT支援活動家やリベラルなマスコミ・政治家らが「人権擁護」の大義名分を掲げて、ブームを盛り上げたことがある。ここで、筆者が「ブーム」という言葉を使うのは「性的指向」「性自認」において「典型的」でない人たちのことを「支援しよう」と言いながら、LGBT問題がわれわれに問い掛けている「性とは何か」が深まっていないからだ。
このテーマについては、人それぞれ考え方が違うということはあったとしても、性と密接に関わる「結婚・家族とは何か」についての答えは、明確に出ている。
「結婚や家族が制度化され、法律によって権利・義務が規定されているのは、家族が子どもを生み育てることを通じて、種の再生産と社会の維持・存続に貢献しているからである」
これは、新年度から使われている高校教科書「家庭基礎」のうち、東京都内で最も普及している東京書籍の記述だから、「社会制度としての家族」についての社会的コンセンサスと言っていい。従って、社会制度としてのパートナーシップ制度や同性婚の是非を論じるとき、「種の再生産と社会の維持・存続」への貢献をどう考えるのかという観点が欠かせないことになる。
ここで気付くのは昨年、同性カップルには「生産性がない」という主旨のことを書いた保守派の政治家が大バッシングを受けたことの異常さだ。「種の再生産」という記述も「生産性がない」という指摘も「子供を産む」という意味なのに、後者だけが攻撃されたのだ。
こんな事態が起きたのは、メディアと一般国民の間に、私的な問題としての性行動と、社会制度としての結婚・家族との仕分けができなくなる一方、子供を産むことを肯定的に捉えなくなっている社会風潮があるからではないか。
LGBT問題に詳しい精神科医の針間克己氏は、自著で次のように指摘している。「現代では、生殖を目的として性交を行うことは人生において数えるほどしかありません。その他の圧倒的多数の性交においては、避けるべきこと、用心しておかなければいけないこと、というマイナスの価値で生殖の意味はもたれている」(「一人ひとりの性を大切にして生きる」)。
この分析が的を射ているとすれば、LGBTブームによる家族制度の混乱や少子化に歯止めをかけるためには、「性とは何か」と問い掛けながら、子供を生み育てることを肯定的に捉える価値観を取り戻すことが必要なのだろう。
社会部長 森田 清策