心癒やした姉妹の旅、浅田真央選手支えた舞さん
フリーで自己最高点をマーク、6位に入賞
集大成の舞台がまさかの結果に終わったフィギュアスケート女子の浅田真央選手(中京大)。姉として支えてきたのが、元フィギュアスケート選手でもある舞さん(25)だ。
浅田選手と舞さんは2年前の6月、ハンガリーを訪れた。浅田選手がバレエのレッスンを受ける傍ら、二人で言葉が通じない街で、電車に乗ったり、散歩したり、水入らずの時間を過ごした。
このとき、浅田選手は前年12月に母、匡子さんを病気で失った悲しみや成績が思うように上向かなかったため、スケートをやめることも考えていた。だが、何気ない時間が、少しずつ浅田選手の心を癒やしていった。
舞さんは「真央が(やめたいと)思ってくれたことで、忙しくて取れなかった時間を一緒に過ごせた。振り返ると、あの時間は本当に大切だったなと思います」と話す。
普段は週に1回、休みの日をともに過ごす。最近は妹の成長を感じる場面にも出くわす。あるとき、部屋を訪ねると、床に衣装が広がっていた。浅田選手が自分で、装飾品を工夫して付け直したりしているという。料理の腕前もなかなかで、「魚の干物を買ってきて、シンプルに焼くとか。おばあちゃんが食べそうな料理を…」と目を細める。
昨年末の全日本選手権の後、浅田選手から「感謝している。ありがとう」と言われた。「支えるとか、本当に意識したことがない。一緒に楽しむことが一番なのかな」と舞さん。帰国する妹を心からねぎらうつもりだ。(ソチ時事)
「最高の演技で恩返し」、1年ぶりTアクセル成功で集大成
喜びや悲しみ、苦しみなど23歳までの「人生」を詰め込んだフリー。これぞ「浅田真央」という滑りを最後に見せてくれた。
冒頭でトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を片足で着氷した出来栄え加点も付く、1年ぶりの成功。団体とSPで転倒した代名詞の大技を、五輪で最後のチャンスで決めた。「よし、このままいける」
プログラムに思いが込められているように、ジャンプはバンクーバー五輪以降に、滑りを基礎から立て直してきた成果をちりばめた。大技は1回で我慢。その代わりに、全種類の3回転に挑んだ。まさかの16位に出遅れたSPはジャンプを全て失敗し、「今まで何をやってきたんだろう」と途方に暮れたが、積み重ねてきた努力を信じて跳び続けた。
気持ちが吹っ切れる言葉があった。この日朝の練習後、佐藤信夫コーチに昔話を聞かされた。34年前のレークプラシッド五輪で、教え子の松村充がへんとうを腫らしながら8位に入った話だった。名伯楽は「何かあっても助けにいくから」。
荘厳で、愁いや情感に満ちたラフマニノフ作曲の「ピアノ協奏曲第2番」。銀メダルに終わった前回もフリーはラフマニノフの「鐘」だった。あえて同じ作曲家にしたのは、「ラフマニノフの借りはラフマニノフで返す」
4年前は、負けたこと以上に、つまらないジャンプのミスを終盤に重ねたことを悔やんだ。この日も踏み切り違反や細かな回転不足はあったが、やり切ったから気にならなかった。フリーだけなら3位。自己ベストを大幅に更新した。
演技を終えると歓喜の涙がこぼれ、その後、笑顔に変わった。「この4年間、たくさんの方々に支えられた。最高の演技で恩返しできたのでよかった」。最高の結末ではなかった。だが集大成にふさわしかった。(時事)