新型コロナとの闘い 「日常」見詰め直す契機に

《 記 者 の 視 点 》

 「今度ほど、ひとの心遣いがありがたいと思ったことはない」

 東日本大震災から1カ月半経った大型連休。宮城県の被災地を訪ねた筆者に、被災した姉の言葉だ。姉家族は、自宅と家族で経営する水産加工場が津波の被害を受け、中学校の体育館での避難生活を余儀なくされていた。

 次男の嫁は、小学校に息子を迎えに行き、校舎から出た直後に津波が襲い、母子で慌てて校舎3階に逃げ戻って難を逃れた。しかし、避難先となった学校の体育館には、肉親を失い絶望の淵にある人も少なくなかった。

 そうした人たちの悲しみを思えば、家族全員が無事であることは幸運だった。そして、親族・知人、全国各地から寄せられた物心両面の支援に対する感謝の気持ちであふれ、それがやがて工場再建のためのエネルギーにつながっていった。

 死者・行方不明者が1万8000人を超えた自然災害が発生し、食べ物が不足する事態になっても暴動が起きなかった日本人の規律ある行動には、世界から称賛の声が寄せられた。「3・11」から9年。新型コロナウイルス禍に直面する今、互いを思いやる日本人の精神が再び試されているように思う。

 ドラッグストアの開店2時間前。寒空の下、店の前にできた列の中に、一人の高齢者(婦人)が携帯用の椅子に座る光景を目の当たりにした時、列に並ぶ人のうち、マスクやトイレットペーパーを本当に必要としているのはどれだけいるのだろうか、と考えた。

 家にストックはあっても、ネットのデマ情報に煽(あお)られて買いだめに走るという消費行動が、本当に足りなくて困っている人の商品入手を難しくしている面もあるだろう。たとえ商品が十分でなかったとしても、購入を最小限にして、一人でも多くの人に行き渡るようにすることはできるはずだ。

 ドラッグストア前に並ぶ高齢者の姿を見た後、妻にマスクを手作りするよう頼んだ。早速、妻はゴムひもとガーゼを購入するため店を回ったが、どこも売り切れだった。仕方がないので、ゴムひもを使わないマスクを何枚か作った。少し大きめだが、見栄えを気にしない筆者には十分だ。

 最近、手作りマスクを着用している人が増えている。カラフルで個性的なマスクもあり、新型コロナ禍が手作りマスク流行のきっかけになるかもしれない。

 新型コロナ禍はしばらく続くだろうが、この感染症との闘いは政府の対策だけでは勝てない。国民一人ひとりの行動次第で、社会混乱は最小限になるし、収束も早まる。

 そのためには、これまでの「日常」を当たり前と思わず、自分よりも困っている人のことに心を配って行動することが大切ではないか。ネットのデマ情報に煽られることなく、互いを思いやり冷静に行動する日本人がいち早く新型コロナの「終息宣言」を行い、世界を再び驚かせたいものだ。

 社会部長 森田 清策