東京大空襲70年で慰霊祭
10万人犠牲、遺族ら参列
一晩で約10万人が犠牲となったとされる東京大空襲から70年となる10日、東京都墨田区の都慰霊堂で追悼法要が営まれた。遺族のほか安倍晋三首相、舛添要一都知事ら400人以上が参列し、犠牲者の冥福を祈った。
式典では、僧侶による読経の後、安倍首相が「戦災で命を落とした方々の貴い犠牲の上に今の平和と繁栄がある。悲惨な戦争の記憶を深く胸に刻み、世界の恒久平和のために貢献していく」と追悼の辞を朗読。秋篠宮殿下御夫妻も参列し、焼香された。
1945年3月10日未明、東京下町の上空に米軍のB-29爆撃機約300機が襲来。現在の墨田、江東、台東各区を中心に大量の焼夷(しょうい)弾が投下され、約27万戸が焼失した。約10万人が死亡し、被災者は100万人に達したとされる。
都によると、慰霊堂には都内の戦災犠牲者約10万5000人のほか、関東大震災被災者の遺骨が納められ、毎年3月10日と9月1日に追悼法要が営まれている。
慰霊堂近くの平和祈念碑に納められた東京大空襲の犠牲者名簿には、10日現在で計8万324人の名前が記載されている。
毎年慰霊に訪れている大田区の渡辺紘子さん(81)は、当時墨田区の自宅にいた。「『お母ちゃんの手を離すな』と言って逃がしてくれた父は、家の火を消すために残って亡くなった。街にはマネキン人形のように遺体が転がり、地獄を通り越した光景だった」と声を落とした。背中におぶって逃げた生後4カ月の弟も、米軍機の機銃掃射を受けて亡くなったという。
葛飾区の町田敏子さん(77)は「空襲で母も弟も亡くした。当時は食べるものも着るものもなく、誰も助けてくれなかった」と振り返り、「戦争はテレビで見るのも嫌。絶対に繰り返してはならない」と訴えた。