地域の才能を育てる喜びを知る ~美の種プロジェクトの挑戦~
2010年から、「地域に存在する他分野の才能の交流とそれを支える市民たちによって生まれる独創的な文化創造を地元の内外に発信する」をコンセプトに始まった“美の種プロジェクト”。最初は山口・宇部、京都・敦賀の2都市から始まった。その後、このプロジェクトは広がりをみせ、2015年は、山口・宇部、和歌山、金沢、大阪、愛知、KOBE・舞子、栃木、それに、京都がつづく。
神楽などの伝統芸能とは違ういわゆる「創作」「芸術」をキーワードに、その土地に住むアーティストたちが挑戦するコラボレーション舞台を地元の市民が応援するというのは、実は良く理解できないものであった。コンサートやリサイタルを応援するなら、これまでもあったことだ。美の種プロジェクトは参加するアーティスト自身が「よく理解できない」ところからの始まりだった。観客動員ならば、都会であれ地方都市であれ有名人を呼べばできる。ギャラさえ払えばいいのだ。だが、それは単なる興行だ。私の願いは地元の才能を育てる歓びを市民に知ってもらう。所謂、自分たちの街の芸術運動である。「その土地をテーマにした内容で」「参加するアーティストは全て地元」「特定の分野を規定しない」―。それらを繋ぐのが、時広真吾の舞台衣装である。それが、このプロジェクトの大きな特長でもある。
地方都市は、「芸術」なる言葉は高尚で自分たち庶民とは関係ないものと敬遠する傾向にある。多くが「文化都市を目指す」というスローガンに掲げてはいるが、それとは裏腹に行政の担当者は芸術や文化の力に深い興味をもつ人材は稀で、単なるあてがわれた職として淡々とこなしていることが多い。文化・芸術には「野蛮」と違う知的で洗練されたイメージ。「庶民とは違う」格差意識があるのだろうか。
アーティストや市民の意識を変化させることが一番の目的でもある。2010年山口・宇部では当初、関係者は「どう宣伝して良いか分からない。みんな演劇なのか、ダンスなのか、コンサートなのかと聞いてくる」と戸惑った。「どれでもあり、どれでもない。つまり、適格にこのコラボレーションを表現する語がない」「だから、新しい内容なんだ」。同時に、需要の少ない地方都市で芸術活動のみで生活できる人間は少ない。所謂、教室などを開いて「生徒」を擁する人間が殆どだ。それでは、偏った才能だけが参加することになる。
「このプロジェクトに参加して、多くの志を同じくする他分野のアーティストに逢えた」「世界が広がった」。参加アーティストたちの言葉だ。苦手な運営の作業をアーティストたち自身がやっていく。美の種のプロジェクトを続けていきたいというその姿を見ていた市民たちが動き出す。この間にはプロジェクトが無くなってしまった土地もある。去っていく人材もいる。同時に、他の都市の美の種プロジェクトをみて、「自分たちの街でも是非して欲しい」と、自主的にプロジェクト実行委員会を設立して、開催にこぎつけている土地も出てきた。各地の行政も注目をし始め、山口・宇部市は「平成27年度芸術祭活性化モデル事業」に指定した。
土地柄、その特長が際立っているのも、このプロジェクトの特長でもある。「美の種ツアーをしたい」。そんな感想も聞かれるようになってきた。種が芽を出し、葉をつけて見事な花を咲かせ、また種をより広く放っていく。アーティストが「できる」ことから始め、できない時は「助け合いながら」広がっている美の種プロジェクトは今後、各都市の美の種同志が交流を始めていく。花の種が風に吹かれて遥かな土地へ自由に飛び広がっていくように。「美」のもつ力を広めていく。
(衣装デザイナー・演出家)