子供の立場で考える


 「『子どもの立場にたって考える』という言い方が、女性の社会参画を進める上ではふさわしくない、というふうにいわれてきた経緯がある。『子どもの立場にたって考えれば、母親にそばにいてほしいものだ』といった、本当に子どもがそう思っているのかどうかわからないような言い方を利用されたことにより、女性を結果として子育てにしばりつけてきた、と国会での審議などで指摘されてきた。しかし子どもの視点がわからないから、ないがしろにしてもよいわけではあるまい」(三砂ちづる『女が女になること』)。

 これは、子育て支援の問題で、病児保育利用者数の政府目標に触れた中での一節。三砂氏は、これまで子育て支援策の多くが「働く母親の支援」「保育所の確保」という観点で語られたが、家庭や保育所における「子供が育つ環境」という観点の議論は始まってもいないと批判している。

 以前、保育事業に関わる若手経営者が、幼い子供の気持ちは聞けないのだから、それで保育所に預けることをためらうのはおかしいという意味の発言をしていたのを、雑誌で読んだことがある。「子供の気持ちを考えることは大切」と誰もが考えると思うのだが、必ずしもそうではないようだ。

 同じことは夫婦別姓問題でも言える。最高裁が夫婦同姓について合憲判断を下した後も、多くのメディアには、判決を否定するように「別姓推進」の主張が盛んに登場する。ところが、子供への影響や子供の気持ちに触れる声はほとんどない。

 世論調査では7割近い人が夫婦別姓になった時の子供への悪影響を懸念している。一方、ふだんは子供の権利や人権を盛んに強調するメディアが、この問題では「親の権利」だけをあげて、子供のことは頬かむりしているかのようだ。家族など共同体を軽視し、「個」を絶対視する弊害と言わざるを得ない。(誠)