今の18歳は大人?


 高校時代の同級生から、メールが届いた。添付されていたのは一枚の写真データ。高校3年の運動会で、仲間たちで撮ったスナップ写真だった。

 メールの送信者は今、故郷近くの高校で国語教師をしている。文化祭で教師たちの若い時の写真を展示するというので、生徒に提出を迫られ、数枚しかない高校時代の写真を探し出したという。写真の真ん中に陣取っていた筆者を思い出し、送ってくれたのだ。

 筆者も懐かしくなって電話をすると、彼は感慨深げにこんなことを言った。

 「今の高校生と比べると、俺たちの高校時代はよほど大人だったよな。写真を見て、つくづくそう思ったよ」

 写真を見た時は、単純に「こんな若い時代もあったのか」と感傷に浸っただけだったが、彼の言葉で改めて写真を見てみると、同級生一人ひとりが今の高校生よりも大人びているような印象を受けた。手前味噌のような気もしたが、毎日高校生と接している現役教師の観察眼が間違っているとも思えなかったので、妙に納得してしまった。

 選挙権年齢が18歳に引き下げられた。世界の流れに合わせたという面もあるのだろうが、選挙を通じて「生きる力」が高まる、つまり大人になるというのが文部科学省の期待だ。しかし、果たしてその思惑通りの教育的効果が得られるのだろうか。今思い返すと、筆者の高校生時代、友人たちには選挙の中に大人社会の欺瞞(ぎまん)をみる洞察力があったように思う。

 生徒会選挙の立会演説会で、こんな演説をぶった友人がいた。「清き一票なんて贅沢(ぜいたく)は言いません。どんな一票でもいいので、僕に入れて下さい」。

 かつての高校生なら、安保法案をめぐる国会議員たちの暴力騒動を見ても「そんなものさ」と達観していたろうが、今の高校生の目にはどう映ったのだろうか。(清)