カントと『一週間』


 日曜日に市場へでかけ、糸と麻を買ってきた
 テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ~(以下、――)
 月曜日にお風呂をたいて、火曜日はお風呂に入り――
 水曜日に友達が来て、木曜日は送っていった――
 金曜日は糸巻もせず、土曜日はおしゃべりばかり
 友達よこれが私の一週間の仕事です――

 ロシア民謡の『一週間』だ。歌詞は少しずつ違うバージョンがある(例えば、「友達が来て→あなたと会って」「送っていった→帰っていった」など)が、子供の頃にNHKの「みんなの歌」か何かで聞いて、小学校でも歌ったような気がする。少し大きくなってふと歌詞を口ずさんだ時は、なんと長閑(のどか)な一週間、長閑な人生の歌だなあと思った。

 学生となり社会人となって忙しい日々を送るようになると、歌そのものをすっかり忘れていたが、50代の中盤に入ってから不思議とこの歌を思い出すようになった。それは、忙しい日々を送っているようでも、そのほとんどはルーティーン、つまり習慣的・機械的に行っていることであって、本当に自分の積極的な意思で行うことは1日にせいぜい一つか二つ、下手をすると一つもない日すらあることを発見したからだ。

 毎日あるいは1週間単位で決まりきった生活を繰り返すことは悪いことではない。創造的な仕事をしている人たちも、生身の体を維持するための時間を有効的に取ろうとすると、必然的に1日のかなりの部分が決まってくる。それを突き詰めていったのが哲学者のカントだろう。その規則正しい生活は有名で、付近の人たちはカントが散歩に出かける姿を見て時計を直したというくらいだ。

 人間年を取るにつれて時間が早く感じられるようになるというが、もう今年も暮れようとしている。新しい年はもっと中身の濃い1年にしたいものだ。(武)