まず隗より始めよ


 中国の故事成語に「まず隗(かい)より始めよ」がある。「大事を始める時にはまず卑近なことから始めよ」とか「まず言い出した者から着手すべきだ」という意味だが、最近、改めてこの故事を見直すことがあった。

 テレビ朝日の党首討論で、野党の某代表が、国民に負担をお願いするなら、まず国会議員が身を切る改革をするのは当然。それなのに消費税引き上げ直後の5月から国会議員の歳費が月額25万円も上がり国家公務員の俸給もアップした(実際は震災復興のための削減打ち切り)。増税の前にまず国会から身を切る改革(大幅な定数削減と歳費削減)を行うべきだと与党側を攻撃した。

 これに対し与党の某代表は、今は(アベノミクスの効果を末端に行き渡らせるため)企業に給料アップをお願いしている趨勢(すうせい)なので、議員歳費や公務員の俸給の(再度)引き下げはそれに逆行すると反論した。

 実際に「まず隗より始めよ」という言葉を出したわけではないが「言い出した者から着手すべきだ」ということを、一方は自分の不利益になることに、もう一方は自分の利益につながることに関して主張している。政治家の発言として「皆に給料アップをお願いするのだからまず自分たちから」というのは極めて都合のいい話だ。「まず隗より始めよ」というなら、そんな使い方はふさわしくないと思ったので、改めて由来を調べたら、あっと驚かされた。

 中国の戦国時代、燕の昭王が家臣の郭隗に賢者を多く招くにはどうしたらいいかと尋ねたところ、郭隗は「まず足らない私から厚遇すれば、私より賢者がもっと厚遇されることを期待して集まるでしょう」と答えた。これが「まず隗より始めよ」の由来だ。つまり郭隗は自分の待遇を上げよと言っている。与党の説明がより原義に近いわけだ。いつの世も、政治の世界は一筋縄ではいかないものだ。(武)