イナゴ捕り
駅(都内)のコンコースに臨時の山形県物産コーナーがあった。電車が来るまで時間があったのでのぞくと、イナゴの佃煮が目に入った。
1パック600円。安くない。レジのおばさんに話しかけると、「子供たちが捕って、それを売ったお金で学校用具を買うというのだから、高めになるわけだわ」と解説する。今でもイナゴ捕りをやる学校があるのか。懐かしさがこみ上げてきた。
筆者の故郷は、同じ東北の宮城県。稲刈りが終わる頃になると、全校児童参加でイナゴ捕りを行った。イナゴを入れやすいように、竹筒を括(くく)り付けた布袋(手拭いを加工したもの)を持った子供たちが、学校周辺の田んぼを歩き回るのは、まるでイナゴの一群だった。
決められた時間に学校に戻ると、布袋の重さを量る。成績優秀者を発表するのだ。最低のノルマが課せられていたが、筆者のような怠け者は真面目にイナゴを追わずに、布袋に泥や石を入れて重さをごまかすのだった。
集まったイナゴは跳び箱や運動マットに代わった。学校の備品購入を目的とした学校行事としては、落ち穂拾いもあった。部活の費用捻出のため、部員で自主的に行ったドジョウ捕りは真剣にやった。昭和40年代のことである。
物産コーナーのおばさんの話に触発されて、ネット検索すると、東北や関東を中心に、今も学校行事としてイナゴ捕りを続ける学校があるのを知った。
ただ、その目的は、いわば自然教育が中心で、おばさんの話がどこまで本当なのか分からない。「子供たちが学校のために…」という話には、多少の脚色も含まれている気がしたが、捕ったイナゴはお金に替わったはずで、まったくの作り話でもなさそうだ。ただ、買い求める人がいなかったのはその値段よりも、イナゴ捕りに郷愁を覚える人間が少ないからだろう。(清)