母校の児童減少
東北の片田舎にある筆者の母校(小学校)が今年3月、その歴史を閉じた。尋常小学校として開校してから125年。前身から数えれば141年になる。ごたぶんに洩れず、わが故郷も子供の減少に歯止めがかからなかったのだ。
子供の頃の思い出が詰まった学舎がなくなるのは、だれでも寂しい。賛否両論あったが、時の流れには逆らえない。結局、町内二つの小学校が合併。中学校の隣に新築した校舎で、小中一貫校として新たな歴史をスタートさせた。
父親の米寿の祝いで帰省した実家に、閉校記念誌があった。その項をめくり、小学校の「あゆみ」を目で追いながら沸いてきたのは、懐かしさ以上に驚きだった。著しい児童数の減少が一目瞭然だったからだ。
明治21年、開校した当時の児童数は245人。その後、児童数は増え続け、国民学校と名前を変えた昭和16年(太平洋戦争が勃発)には1000人を超え、21年には1400人近くに達した。
戦争が終わって、新学制に移行してからの最多は34年の1221人だ。筆者が卒業した年でさえ約800人を数えた。最少は平成18年の254人。その後、わずかに増えたが、最後の在校生は311人止まり。開校時の児童数に近づいて閉校となったのは、歴史の巡り合わせなのかもしれない。
筆者が6年生だった時は3クラスあった。しかも1クラス40人を超えていた。ところが、閉校時の6年生は2クラスだけ。しかも、1クラスがなんと22人。町内の、もう一つの小学校も同じような状況に違いない。「これでは合併も仕方がない」と、ため息をついた。
あとで、新校舎を見に行った。二つの小学校が合併してできたにしてはこぢんまりしていると感じたのは、かつて1000人以上の子供たちが学んだ大きな旧校舎と無意識に比較していたからなのだろう。(森)