Date archive for 11月, 2025
ブッシュ当選とクエール候補の兵役忌避問題②
党大会は大抵の場合、4日間継続して開かれる。そして、最後の日の夕方に大統領候補と副大統領候補の指名受諾演説が行われ、盛大なファンファーレが鳴って大会はクライマックスに達し、終幕となる。ところが、党大会期間中に大問題が発…
ブッシュ当選とクエール候補の兵役忌避問題①
<前の記事 国際共産主義の総本山、ソ連邦の終焉は、1992年12月25日に正式に確定した。その年の8月に発生したソ連共産党保守派のクーデターが失敗に終わると、ゴルバチョフ大統領(1990年3月、憲法改正により大統領制が…
ニカラグア自由戦士を援助—米議会を動かす②
こうして、文鮮明先生のダンベリー刑務所での一つの決心がとてつもない結果をもたらした。世論の支持を背景に力を得たレーガン大統領は、一つ二つと大胆なコントラ援助計画を拡大していった(1986年には軍事援助7000万ドルを含…
ニカラグア自由戦士を援助—米議会を動かす①
ボルシュグラーブ編集局長は私からの電話を受けたその日に、その場でこの社説を書いてしまったと言った。 この文章がよほど名文だったのか、アメリカの女流学者で国連大使も務めたジーン・カークパトリック女史が新聞社に電話をかけ…
「米議会ができないなら、われわれ自由人がやろう!」②
また、多くの議員がニカラグアのオルテガ大統領が突然訪ソし、2億ドルの援助を求めたことに驚きを隠していない。彼らは「もしわれわれがこのことを事前に知っていたなら、同援助案に賛成票を投じたのに」と私に言った。偉大なる米国民…
「米議会ができないなら、われわれ自由人がやろう!」①
米紙「OP」(other paperの略で、ワシントン・ポストを揶揄(やゆ)した言い方)の論説担当責任者で、リベラルで鳴らすメグ・グリーンフィールド女史はかつて、「ベトナム戦争後の米国の考え方の核心」は次のようなものだ…
ワシントン市民の度肝を抜いた1面特別社説②
私はそれ以上、一言も言わなかった。私はアルノー・ド・ボルシュグラーブの人となりをよく知っているからである。 第一に、彼は反共闘士である。 第二に、彼は天才的言論人である。 第三に、彼は週刊誌「ニューズウィーク」の…
ワシントン市民の度肝を抜いた1面特別社説①
私はダンベリーを出ると、慌てて公衆電話の前で車を止めた。私は急いでワシントン・タイムズ社に電話をかけた。その日はよりによって日曜日である。ところが、幸いにも編集局長アルノー・ド・ボルシュグラープ氏が自分の事務室に来てい…


