Date archive for 10月, 2025

著者を叱咤する文鮮明師

中米諸国にドミノ式共産化の危機②

 ソ連はキューバに対してと同様に、ニカラグアにも数億ドルの軍事援助を降り注ぎ、中米の軍事要塞構築に余念がなかった。ところが米議会は、自由回復のために闘争するニカラグアの自由戦士コントラに対して、軍事援助でもない人道的援助…

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ニカラグアの反政府ゲリラ・自由戦士(コントラ)

中米諸国にドミノ式共産化の危機①

 1985年5月のことである。その当時、文鮮明先生はアメリカ政府の一連の宗教弾圧政策により、無実の刑でダンベリー連邦刑務所(コネティカット州所在)に収監中であった。  5月5日、私はいつものように文先生の令夫人、韓(ハン…

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ワシントン・タイムズの通信員記者ジェームス・リンドロフと映像記者リー・シャピロが、アフガニスタン戦争の現場で、ソ連ヘリコプターの機銃掃射を受けて無惨に殺害された。

ソ連軍のアフガニスタン撤退に貢献②

 ソ連軍のアフガン撤退は、アメリカにとってベトナム戦争敗北以後、最初の慶事であった。ここでソ連正規軍が自由ゲリラ軍に敗北したので、世界中で共産主義支配の構図が変化し始めた。各地で自由ゲリラ軍が攻勢に出て、共産政府軍が追わ…

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ムジャヒディン・ゲリラが放つスティンガー対空誘導弾。

ソ連軍のアフガニスタン撤退に貢献①

 レーガン大統領はこの建議に全面的に呼応した。  アフガニスタンからソ連正規軍が撤退するようになった理由はどこにあったのか? それはムジャヒディン・ゲリラが放つスティンガー対空誘導弾によって、ソ連のヘリコブターとミグ戦闘…

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自由ゲリラは、まさにアメリカの「建国の祖父(Founding Father)」たるジョージ・ワシントン将軍のゲリラ部隊に相当する…。

自由のための「レーガン・ドクトリン」

<前の記事  1970年代後半から80年代初頭にかけて、全世界の五大洋六大洲(六大陸)では、共産勢力の侵略の炎が直接間接に燃え盛っていた。  ソ連は容共的なカーター政権時代に、15万人もの正規軍をアフガニスタンに投入して…

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ワシントン・タイムズのおかげで、離婚を免れた米議員夫妻。

アメリカ大統領が一番最初に読む新聞②

 ところで、先に書いたゴルバチョフ議会演説が霧散した後、早朝3時に今度は2台のリムジンが「Hot Off The Press」新聞を待つようになった。1台は勿論ホワイトハウスのリムジンであり、もう1台は駐米ソ連大使館のリ…

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レーガン大統領は、朝一番にワシントン・タイムズに目を通すことがルーティンになっていた。それが届かない日には補佐官を問い詰めることも。

アメリカ大統領が一番最初に読む新聞①

 随分以前から、ワシントン・タイムズは既にホワイトハウスで特別待遇を受ける新聞になっていた。  午前3時にその日の新聞が輸転機から落ちると、印刷所の外にはホワイトハウスのリムジンが待っており、最初の400部を積んでホワイ…

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ワシントン・タイムズはゴルバチョフ書記長の米議会演説の予定を取り消すべきだと食ってかかったのである。

ゴルバチョフの米議会演説を阻止

 これまで見てきたように、ワシントン・タイムズは“言論界の革命児”として、歴史上のいかなる新聞や言論よりもアメリカの歴史、世界の歴史を変えてしまった。共産主義解放に寄与したSDI政策支援については既に詳述したが、その他に…

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言論界のダビデ少年はワシントン・タイムズを、ゴリアテは狭く解釈すればワシントン・ポスト、広くはアメリカのリベラルな容共言論全般を表した。

アメリカ屈指の三大日刊紙の一つに成長②

 この六大紙のインナーサークルに、誕生して5年にもならない販売部数20万部のワシントン・タイムズが食い込んだのはなぜだろうか? それはメディアのリベラルな風潮に真っ向から挑戦し、反共・保守の旗幟(きし)を鮮明にした“言論…

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