Date archive for 3月, 2026
文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城②
空港の外には、ソ連政府が用意した外国の国家元首が訪問したときに使用するリムジン車と、それをエスコートする警察の車が勢ぞろいして待機していた。まもなく御夫妻はリムジン車に乗られ、私は同じ車の前の席にお供をして乗った。 …
文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城①
1990年4月8日、この日こそ歴史的な日である。文鮮明師が共産主義宗主国ソ連に入城された日である。 その日午前10時35分、文鮮明師御夫妻一行は米国ニューヨークからパンナム航空でモスクワ空港に到着し、まず空港貴賓室に…
強烈な印象を受けた日本訪問
日本では、統一教会幹部と信徒たちが彼らを手厚く接待した。 九月十五日のことである。東京都内で歓迎晩餐会が行われることになっていた。ところが、予定時刻を30分過ぎても一行は会場に現れなかった。主催者側が心配して時計を見…
ソ連メディアの衝撃の論文「いかにして敵を友とするか?」②
一行は最初に韓国を訪問した。彼らは韓国の発展ぶりを見て、その感嘆を言葉に表現することさえ難しいと言った。特にリトルエンジェルス芸術会館で、清らかな子供たちが喜々として楽しみながら踊り、歌う公演を見て、彼らは久しぶりに本…
ソ連メディアの衝撃の論文「いかにして敵を友とするか?」①
帰国したコビッシュ氏は、約束通り、訪米内容をすべてゴルバチョフ書記長に報告した。おそらく、書記長の反応は好意的であったのだろう。しばらくして、ソ連側の態度の変化を思わせる動きが次々と表面化してきた。 第一に、ソ連の週…
ソ連ジャーナリストが米国へ
モスクワ大会の具体的作業が始まったのは、1989年3月に米国ワシントンDCで開かれた「第10回世界言論人会議」であった。 ここに初めてソ連の言論人代表12名が参加した。これを見て西側世界は非常に驚いた。もっと驚いたこ…
ソ連KGBが狙った3人の暗殺
<前の記事 それでは、文鮮明先生とゴルバチョフ大統領の握手はどうやって実現したのか?ここまで私は長々と、この二人の巨人の宿命的な出会いについて、その背景を説明してきた。文鮮明先生の「頭翼思想」は共産主義ソ連を解放する思…
共産党一党独裁に終止符
ゴルバチョフ革命の決定打は1990年初めに起こった。 ゴルバチョフ書記長の改革の巨弾がまず2月に炸裂した。共産党中央委員会総会が新しい政治綱領案を採択し、ソ連憲法第六条と第七条の改正を決定したのである。その内容は、共…
「ベルリンの壁」が遂に崩れた!②
ルーマニアの展開も劇的であった。チャウシェスク大統領の残忍な長期独裁政治に呻吟(しんぎん)していたルーマニア国民は、連日の大規模集会で独裁者を追い詰めていった。12月22日、大統領夫妻は官邸に押し寄せる群衆に恐れをなし…


