Date archive for 2月, 2026
「ベルリンの壁」が遂に崩れた!①
ゴルバチョフ改革の最初のテストは1989年8月にやって来た。果たしてソ連は、ソ連改革の評価基準に照らして、改革をどこまで実行するのであろうか? 果たしてブレジネフ・ドクトリンを破棄するだろうか? 共産党一党独裁に終止符…
国際安全保障協議会「セントルイス宣言」の慧眼②
ISCは、このセミナーの終わりに「セントルイス宣言」を発表した。そこには、ソ連の改革を評価する十箇条の物差しが提示されていた。この物差しに合致すればその改革は本物であり、そうでなければ改革は偽物、欺瞞政策であるというこ…
国際安全保障協議会「セントルイス宣言」の慧眼①
1983年のワシントン・タイムズ社長室での出来事である。 ある日、珍しいお客様が訪ねて来た。彼はユダヤ人学者として国際問題、特に国家安全保障問題の最高権威者であった。彼の名前はジョセフ・チャーバ博士(Dr.Josep…
ゴルバチョフの前に「人参」を吊せ
この時、文鮮明先生が登場されたのである。先生の主張は、「どちら側も信じる必要はない。ゴルバチョフの前に人参を吊せ。そして、改革の真実度を計る物差しを明白に設定せよ」というものであった。これはすなわち、”大統…
揺れるブッシュ政権—ゴルバチョフ改革は本物か?
私は先に、文鮮明先生が共産主義の脅威と闘い、宗主国ソ連を解放するためにアメリカに行き、レーガン大統領の誕生に全精力を注ぎ、その後にはワシントン・タイムズを創刊して、ソ連の世界赤化の野望を粉砕するうえで決定的な仕事をされ…
文鮮明師のソ連解放戦略
文鮮明先生がある時、ソ連が崩壊する道には三種類あると語られたことがあった。 第一に、軍事革命が勃発して連邦政府を転覆する道である。 第二に、窮地に追いやられ、のっぴきならない事態に陥ったソ連が、最後の手段として第三…
ゴルバチョフ改革—ペレストロイカとグラスノスチ
ゴルバチョフ書記長は危機的な国内経済を立て直し、ソ連社会を活性化するために、重荷になっている軍事費を削減して、東西体制の共存、より正確に言えば米ソ共存の道に踏み出そうとした。西側の支援なしにはソ連が窮地を抜け出す道はな…
ゴルバチョフ登場
アメリカ政府が対ソ戦略で大々的な攻勢に打って出たこの時期に、ソ連は国内経済だけでなく、政治体制にも緩みが見え始めた。原因は相次ぐ最高権力者の死である。まず1982年には、世界赤化戦略の権化(ごんげ)であるブレジネフ書記…


