ナショナリズム再考、国家なくして自由なし


《ナショナリズム再考 「ハゾニー主義」を読み解く(上)》

トランプ外交の理論的基盤に

 米国の保守論壇で注目を集め、トランプ前政権の外交政策に大きな影響を与えたイスラエルの哲学者ヨラム・ハゾニー氏の著書『ナショナリズムの美徳』が邦訳された(東洋経済新報社刊)。ナショナリズムは悪、グローバリズムは善という考え方が世界を席巻する中、各国がそれぞれの文化や伝統、価値観を尊重し合う「多数の国々からなる世界」こそが自由と平和とをもたらす最善の世界秩序だと説く“ハゾニー主義”から、日本人は何を学ぶべきか。邦訳版で解説を書いた施光恒・九州大学教授に聞いた。(聞き手=編集委員・早川俊行)

施 光恒氏

 1971年、福岡県生まれ。英シェフィールド大修士課程修了。慶応大大学院博士課程修了。法学博士。現在、九州大大学院比較社会文化研究院教授。著書に『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。

ハゾニー氏の主張のポイントは。

九州大学教授・施 光恒氏

 西洋の政治の伝統には二つの理想的世界のビジョンがある。一つは「帝国」で、普遍的、画一的な道徳や法を世界に広げ、人類全体を一つの共同体に統合するという世界像だ。もう一つは「多数の国々からなる世界」で、それぞれが文化や伝統、慣習、言語を大切にしながら、その多様性を認め合う秩序だ。

 ユダヤ人であるハゾニー氏によれば、「多数の国々からなる世界」の源流は旧約聖書にあるという。だが、第2次世界大戦以降は「帝国」の伝統が強くなった。ナチス・ドイツの蛮行はナショナリズムのせいだと、欧米の知識人が決め付けたためである。

 興味深いのは、欧州連合(EU)や1980年代以降の経済的グローバリズムを、ハゾニー氏は「帝国」の現代的形態と見なしていることだ。同氏は自由や民主主義、平和はグローバリズムではなく、実は「多数の国々からなる世界」からもたらされることをさまざまな角度から論じている。

ヨラム・ハゾニー氏

ヨラム・ハゾニー氏

国家を持たず迫害されてきた歴史を持つユダヤ人だからこそ、国家という概念に鋭敏なのか。

 その通りだ。ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺したアウシュビッツ強制収容所は、ユダヤ人にとって国家を持たなかったことで起きた悲劇であり、同胞を守れなかった深い後悔の念がある。戦後、イスラエルを建国したが、国家がなければ自由も幸福もないというのが彼らの考え方だ。

 だが、欧米や日本の知識人の見方は全く逆で、国家とナショナリズムが戦争やアウシュビッツを引き起こしたと捉えている。

本書はトランプ政権の外交政策にも大きな影響を与えた。

 トランプ政権で国家安全保障会議の報道官を務めたマイケル・アントン氏は、2019年4月に「トランプ・ドクトリン」という論文を発表したが、この中でトランプ政権の外交政策の基盤として再三引用したのが本書だった。

ナショナリズムの美徳

ナショナリズムの美徳

 トランプ氏が同年9月に行った国連総会演説は、本書の影響が色濃く表れた素晴らしい内容だった。「未来はグローバリストたちのものではない。愛国者たちのものだ。主権を持ち独立した国々こそ未来を有する。このような国々こそ自国民を守り、隣国を尊重し、各々(おのおの)の国を特別で唯一無二の存在にしている差異に敬意を払うからだ」と。

 マスコミはトランプ氏を利己的なナショナリスト、偏狭な孤立主義者と批判したが、それは違う。トランプ氏は各国の文化の多様性を大いに推奨し、それを可能にするのが「多数の国々からなる世界」だと主張していたのだ。

 トランプ政権は直観的に世界の平和や自由、民主主義を守るには、グローバリズムよりも「多数の国々からなる世界」の方が望ましいと考えていたが、その理論的根拠をもたらしたのがハゾニー氏だといえる。