渤海沿岸北部で発生、曲玉の源流を探る


玉龍から玉墜へ、そして曲玉へ 礼の原型となった玉文化

 曲玉(まがたま)(勾玉)は、ヒスイ、水晶、瑠璃(るり)などの貴石からなる古代の玉製品だ。主に、日本や朝鮮半島、中国東国部の古代遺跡から出土している。その起源について、動物の牙による装飾製品説ほか、胎児の形説、魂の形説があるが、中国東北地方の新石器時代中期の龍形の玉製品とする見方がある。

渤海沿岸北部で発生、曲玉の源流を探る

翁牛特旗の三星他拉村出土の玉龍。高さ26㌢=李亨求著『韓国古代文化の源流』から出典

 龍の形象は古代中国の各地に現れ、中国人の龍崇拝は今日まで続く。しかし近年の考古学的調査によれば、龍の形象が最初に現れたのは、中国の中原(黄河流域)から遠く離れた渤海(ぼっかい)沿岸北部の大凌河(だいりょうが)と遼河(りょうが)流域だ。

 1972年、西遼河流域の内モンゴル自治区翁牛特(オンニュド)旗の三星他拉(タラ)村で、最も古い時期の龍形象を持った玉が発見された。

 この玉龍(高さ26センチ)は新石器時代の文化類型の一つである紅山文化(紀元前4千年~前3千年頃)のものだ。大凌河流域では、遼寧省の牛河梁石棺墓からも龍形の玉墜が1対発見されている。玉龍より簡潔に抽象化されたもので、被葬者の肩下付近で発見され、耳環に装飾したものと推定されている。

渤海沿岸北部で発生、曲玉の源流を探る

遼寧省建平県出土の玉墜。高さ15㌢=同

 この玉墜は内モンゴルの赤峰県巴林(パリン)旗、敖漢(オーハン)旗、遼寧省の凌原県、阜新県などで発見され、大部分、石棺墓から出土した点が特徴だ。こうした紅山文化の龍形玉装飾は、その後、黄河流域の殷の首都殷墟で大いに流行した。

 韓国・鮮文大学校の李亨求(イヒョング)教授(考古学)は「龍は天を崇拝する古代農業社会ときわめて密接な関係」にあり、「大凌河流域の龍と鳥形の玉製彫刻の伝統は、殷に伝承し、流行したという事実に注目する必要がある。それは殷の先祖が渤海沿岸の東夷族だという事実と一致するからである」(『韓国古代文化の源流』)と述べる。

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殷墟・婦好墓出土の玉龍。高さ5・8㌢=同

 朝鮮半島では、湾月(弦月)形曲玉が咸鏡南・北道、忠清南・北道、慶尚北道などの主に青銅器時代(原三国時代)の石墓から出ており、「大凌河流域の石墓から出土した紅山文化の龍形玉装飾と一脈相通ずる」(李氏)。

 曲玉は次の三国時代にも継続して出土し、日本でも弥生時代と古墳時代の九州地方や関西地方で出ている。中国東北地方では、遼東半島の旅大市郭家(グォジア)村遺跡(前3千年頃)の松緑石製勾玉をはじめ、吉林省延吉県、汪清(ワンチン)県の石棺墓から出土している。

 これらの曲玉の祖型について、李教授は「大凌河流域で起源した龍形玉装飾の曲玉に由来したもの」であるとする。

 つまり、玉龍から玉墜へ、そして曲玉へと変化していったというのだ。さらに重要なことは「東北での龍に対する宗教的な観念の世界が、朝鮮民族と近い東夷地域で形象化されたという事実である」という。

 玉は、研磨することによって美しい光沢を出すようになる。そのためその完成を君子の五徳(仁・義・礼・智・信)の完成や永生不滅に例えられた。

 玉を持つことによって古代社会の身分上の等級と権力に対する観念が生じたが、李教授は「これがまさに礼の原型」であり、「渤海沿岸で東方文明が発生したという事実を確認できるであろう」としている。

(市原幸彦)